藍染家の名跡である田畑喜八は1877年から1956年にかけて活動した染め師です。 三代目田畑喜八は友禅の重要無形文化財にもなった人物です。 京都に生まれてから日本画家になることを志し、京都府画学校に入学するも、父の死去によって中退することになりました。 その後、家業を継いで三代目になり、染め師の使命を全うすることになりました。 伝統的な技法を用いて繊細な文様や色調を表現することに長けており、明治に入ってからは輸入染料を取り入れた作品を多数輩出しています。