重要無形文化財「紅型」の保持者でもあり昭和後期から平成にかけて活躍した染色家でもあります。 玉那覇有公は沖縄県石垣島に生を受け、紅型城間家14代栄喜の一人娘と結婚することを機にこの世界に飛び込むことになります。 養父であり師でもある栄喜は非常に厳しい人物でもありましたが、そのお蔭で知識と技術をまたたく間に習得しました。 養父から独立したあとも研鑽を続け、自身の工房を構えてからは師をもしのぐ紅型作家として名を馳せるようになります。