1908年に沖縄で生まれた紅型師です。 城間栄喜の生まれた家庭は琉球王朝時代から代々続く紅型の技術を持っており、幼少のころからその技術を学んでいました。 しかし、機械が普及したことで技術が必要とされなくなり、城間栄喜は奉公へ出ることになります。 7年間の奉公を終えると紅型の研究に没頭しました。 第二次世界大戦によって焦土と化した沖縄でしたが、紅型の復興に尽力したのです。 また、紅型師としてだけでなく後進の指導も行いました。